沈黙の春 (レイチェル・カーソン)
神秘さや不思議に目を見張る感性
子供たちの世界は、いつも生き生きとして新鮮で美しく、驚きと感激に満ち溢れています。残念なことに、私たちの多くは大人になる前に澄み切った洞察力や、美しいもの、畏敬すべきものへの直感力を鈍らせ、あるときは全く失ってしまいます。
もしも、私が、すべての子供の成長を見守る善良な妖精に話しかける力を持っているとしたら、世界中の子供に、生涯消えることのない『sense of wonder 』を授けてほしいと頼むでしょう。
この感性は、やがて大人になるとやってくる倦怠と幻滅、私たちが自然という力の源泉から遠ざかること、つまらない人工的なものに夢中になることなどに対する、変わらぬ解毒剤になるのです。
自然の精妙さに目を見張ること。
その美しさに打たれること。
それはとりもなおさず、「この世界が、私の思考を超えたところに実在していることを確認する感覚である。」
センス オブ ワンダーとは実はそういうことなのです。
ルネ・デカルトは、われ思う、ゆえにわれあり。と言ったと伝えられる。自分の存在を立証することは不可能である。しかし、自分が考える、そのことだけは否定できない。だから私は存在しているのだと。
しかし、私はむしろこう言いたい。センス オブ ワンダーを持ち得ることが、この世界の有り様を指し示すのだと。自然の細部に宿る美しさに目を見はれることが、世界の実在性を立証していると。
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