歴史とは現在と過去の対話である
「すべての歴史は現代史である」と語ったイタリアのクローチェは「過去の歴史がそれ自身で一定の意味や価値を持っているのではなく、我々の住む現代との関連において、その意味や価値が定まってくる」といった。このことは歴史的現代の新しい展開とともに歴史が常に新しく書き直されていることを意味している。しかし今日歴史は、真の歴史ではなく、自分たちの利害に合う過去しか知りたがらない人々によって、かつてないほど修正され捏造されている。
歴史家でない我々にとって歴史を知る事は自己を知るということである。
歴史を知ることによって、自分の好きなこと嫌いなこと、自分の弱さや醜さを認識でき、自分を直視し始めることができる。
そもそも我々の「意識」とは「さも今をうまく生きるためのもの」であり「無意識」とは「自分の全歴史」である。
誰にでもある記憶(自分の歴史)の中で、その記憶を現実生活の中に取り入れ、自分の記憶を思い出していく。過去の自分の歴史を思い出し、目をそらさず見つめていく。
そして自己流に自己を信じていく。自己流に信じることとは、自分の信じることに責任を持つという凛然たるさまをいう。
先入観のある無意識を意識化して、自己を深く探求することにより、ますますよりよく生きることができるのでは!
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